Indira Gandhi Memorial Musium

インディラ・ガンディーメモリアルに行きました。実は私、インディラ・ガンディー=マハトマ・ガンディーと思い込んでおり、インディラとマハトマで違うやんというお説ごもっともなんですが、ガンディーといえばあの人!という思い込みがニックネーム的なものね、と勝手に脳内解釈され同一人物として認識されていました。別人である、ということがこのミュージアムで初めて明らかにされたのでした。

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入場にはセキュリティを通らなければならず、水筒が没収されました。これ、帰りに返してくれるよね!?と確認して中に入ります。この直後、ガンディー違いやん!事件が起こるのです。

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中に入りこのミュージアムについてのパネルを読んでいると、”She”と書いてある。んん?She?書き間違えかと先を読んでもずっとShe。どういうことだ?と写真をみると、女の人!誰、これ!?なんと、インディラ・ガンディーさんはインド初の女性首相だったのです。私、大勘違い!これは失礼とインディラさんのバイオグラフィーを読み進めます。結婚前の姓はネルー。む?ネルー首相と関係が?おっと娘だった。そして次にマハトマ・ガンディーとのツーショット写真を見て、ふむふむ、ガンディーの血縁者と結婚してガンディーファミリーの仲間入りをしたのかと勝手な解釈をしたのですが、家に帰りWikiるとマハトマ・ガンディーとの血縁関係は全くありませんでした。

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祝日でもないのにたくさんの人が訪れています。祝日ではないけれども夏休みだからかもしれません。どかっと団体で顔を隠した女性達もやってきていました。

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インディラ・ガンディーさんの執務室です。経歴によると子供が産まれた時、小さいうちは育児に専念していたとのこと。自分が小さい時両親が忙しく構ってもらえなかったので、自分は子供を大事にしようという思いからのようです。育児ブランクがあっても首相業ができるなんて、かなり優秀な女性です。朝早くから執務室で仕事をし、夜は子供達がここにきて本を読んであげたりしていたそうです。日本だったら公私混合だと言われ兼ねませんが、そうやってワークバランンスをうまく取っていたのでしょう。

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インディラ・ガンディーさんは、公邸を出て先ほどの執務室に向かう途中に暗殺されています。その道がこの道です。ガラスで覆われています。

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ミュージアムには、撃たれたときの衣装も展示されていました。

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インディラ・ガンディーさんの言葉に”I am Courage”があります。様々な勇気を持つ必要性を説いた女性でした。観光客はほとんどおらずインド人ばかりでしたが、国民に愛された首相だったんだと、新たなインド知識を胸にミュージアムを後にしたのでした。

 

ずっとあのガンディー(マハトマ)だと信じ込んでいた空港の記事はこちら。

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