帰国 〜その1〜

帰国

 

突然ですが、6月14日のJAL臨時便で母子のみ帰国しました。夫はまだ任期があるためインド。インドは未だロックダウン中なので公には国際線は飛んでおらず、帰国者のための臨時便のみが飛んでいる状況です。今日はインドから日本への帰国について書こうと思います。

 

まず飛行機ですが、日本への臨時便の予定は日本大使館のレターで発表されます。その中に予約方法が書いてあるのでそれに従って予約します。正規の便ではないため航空会社のHPからは予約できず、専用窓口に電話する形になります。予約したタイミングが遅かったのか、臨時便という特性上全員がそうなのかは分かりませんが、Waitingリストに入りました。そこから出発の4日前まで連絡が来ず、てっきり今回は無理だったかと諦めた矢先、その夜(寝る直前)に席確保の連絡がきました。

席が確保できたので、急ぎ帰りの荷物のパッキングをしているとJALから国際電話が。インド政府に提出が必要なので、空港までのタクシーの情報(車種、運転手名、運転手の電話番号)共有をお願いされました。急ぎタクシーを手配し、必要な情報をJALに連絡。電話もかけたのですが、回線が混んでいて待ちになったため、メールで情報を連携しました。

出発前々日には日本大使館から、インド政府からの州超え(グルガオン・デリー間)許可証と日本大使館からの移動中の邦人保護のレターが届いたので印刷(右)※現在は、州超えの規制は解除されているのでこれらのドキュメントは不要になっています。さらに空港で提出する個人の健康状態と連絡先を記入する書類を準備しました(左)。実はこの健康状態書類、2部必要と書いてあるのに私見落として一部しか持っていかず結局もう1部空港で書くハメになりました。

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空港前では日本人のJALのスタッフが案内をしていました。周りを見れば、大量の帰国の荷物を運ぶ日本人の姿が多数。まだインドにいたのね、ロックダウンを共に戦った同志よと心の中で呟く私。空港には裏口ルートのようなところから入り、ショップゾーンは通れないようになっていました。ショップゾーンへの立ち入りは禁止され、もちろんすべてのお店はシャットダウンされていました。

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いつもは大混雑のイミグレーションもセキュリティゲートも空いています。なのであっという間に中に入れました。一部DFSはオープンしていましたが、特に欲しいものもないので今回は素通り。お化粧品買っても、マスクするならいらないしな〜。

搭乗の待合場所も運行している飛行機がないので、ガランとしていました(右上)。座って待っていると、JALから飲み物と軽食のサービスがあるとの放送が。いそいそと受け取りに向かい、水とマンゴジュースとフルーツケーキをもらいました(左)。ちょうど喉がかわいていたので助かりました。小腹を満たしたところで、子連れの優先搭乗放送があったので、これまたいそいそと一番乗り。ボーディングブリッジ手前で一旦待たされましたが、日本人のスタッフがお帰りなさいませ〜と声をかけてくれ、もうここは日本だ、インドではない!とテンションが上がりました(右下)。

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飛行機の中では換気は定期的に行っていることや、できる限りマスクはしておくようにとの放送がありました。また、すべての席ではありませんが一部の席には防御服も置いてありました。搭乗者ですが、意外や意外、満席で日本人しかいないとばかり思っていましたが、インド人もいました。息子2はJALからもらったフェースシールドで完全防御(任意)。

食事もいつもよりは簡易だと案内がありましたが、ロックダウンのインドから来た私にとってはご馳走。一人ビールを飲んで祝杯をあげる母を横目に、映画に夢中な息子たち。夜便だったので、私は酔いも手伝いあっという間に夢の世界に向かいましたが、子供たちはずっと起きて映画を見ていました。日本についてからも長いのに、それでもつのか!?まだ道半ばだぞ?

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日本に着くと降機の許可が降りるまで待たされ、許可が出てからは、座席番号で区切っての段階的な降機でした。降機後、PCR検査の待合室に行きます。幸いなことに子連れ専用席に座ることができ、優先的にPCR検査に向かえます。ここでも先頭を切ってPCR会場に向かいます。会場といっても、廊下を3つの簡易ブースに区切っているだけで、家族単位で受けられます。PCR検査後、子供たちが泣いているのを見て、大袈裟だなあ、インフルでも体験済みでしょ?と軽く見ていたらインフル以上の辛さでした。冗談ではなく涙がこぼれ落ちました。PCR検査が終わると検疫に向かいます。飛行機の中で検疫からコロナに関する書類(連絡先など記入)を事前に書いてあるので、その提出待ちの行列(右上)。提出するだけではなく検疫官となにやら話をしているので待ち行列ができているよう。検査官とは、体調のこと、帰国後14日間の隔離はどこでするのか?体調管理にLINEを使うが良いか?との質問。LINE使います!と言ったのですが、日本の番号でないとダメ、とのこと。そんな。。。日本のSIMなんて持ってないよ。隔離されるのに入手もできないじゃん。海外のはダメなんだそうで、帰国者は持ってない人多いだろうなと思いました。

f:id:startGurgaon:20200619102633j:plain私たちは自宅があるので、PCR検査結果を待たず、自宅隔離措置となります。自宅への交通手段として、ハイヤーを手配しました。想定以上にスムーズに進んだため2時間以上もハイヤーの予約時間まで時間がある。電話をしようと公衆電話を探したのですがなく、日本にいるのに国際電話(日本ーインドー日本)。ラッキーなことに今すぐならいける、とのことなのですぐ来てもらえるよう手配しました。検疫の出口でハイヤーが来ました、と伝えるとピンク紙を渡されました(右下)。所々、スタッフが立っているので見せてください、とのこと。コロナキャリアの可能性ありという紙でしょうか、、、出口まで3箇所くらいでこの紙を見せる必要がありました。途中、フライト情報板がありましたが(左上)、すべてキャンセルになっていました。ちなみに、荷物はターンテーブルから全て降ろされずらっと並んでいました。荷物をピックすると、哀愁すら感じる2020東京オリンピックの案内(左下)を横目にやっと日本国に上陸です。ここまでくるともうピンク紙(右下)も不要です。特にチェックする人もおらず、こっそりシャトルバスや電車も乗れそう、とチラっと思いました。